2011年12月20日
生命の実相とは?

生命の実相に触れ、人生を大切に生きよう
私たち人類は地球に住み、水素や炭素、窒素、酸素などの元素から構成されている。宇宙科学者によると、これらの元素は元々、宇宙に存在していたものではなく、宇宙が生成、発展していく過程で作られたものだという。
137億年前、高温・高密度状態のガスが大爆発(ビッグバン)し、宇宙が誕生したことはご承知の通り。その際、さまざまな元素が生まれたという。最初に誕生した元素は最も軽い質量をもつ水素(原子番号1)だ。二番目に生まれたのはヘリウム(同2)である。さらにヘリウムが「核融合反応」を起こして炭素と酸素が作られた・・・。このようにして作られた元素は現在、約80種類に及んでいるという。
さて、原始宇宙の段階で作られた水素とヘリウムは太陽系宇宙にどのくらい存在するのだろうか。驚くなかれ! 水素は90.2%、ヘリウムは9.7%あり、これら二つで99・9%を占める。残りわずか0.1%の中にリチウムや炭素、窒素、酸素、鉄、鉛、ウランなど、その他の元素が存在する。
高温、高密度の状態では原子の基本要素である電子や陽子、中性子が飛び交い、ぶつかり合っている。そのような状況下で化学反応が起こり、新たな元素が作られていった。ところで元素が作られたのは原始宇宙の時だけではない。恒星が数十億~100億年かけて一生を終え、消滅してく“超新星爆発”の際も核融合反応が起き、また別の新たな元素が作られていった――というのが現代科学の一致した見解のようだ。
現在の宇宙は四次元の世界で成り立っている。気の遠くなるような長い時間の経過があって、元素が次々と作られ、その結果、生命を誕生させた。生命の素(もと)を作り出した大自然のパワーは恐ろしいばかりに大きい、と驚嘆せざるを得ない。大自然の、大宇宙の不可思議な力には畏敬の念を覚えるばかりだ。
悠久の時が流れていく途上に、我々人間は存在し、今を生きている。時間は一瞬たりとも止まることはない。人間がとても覚知できないような宇宙の果てでも、時は容赦なく流れ、とどまることをしらない。平たく言えば、時々刻々と変化せざるを得ないのが「自然の法則」(自然の摂理)というものだろう。これには何人(なんぴと)も逆らえない。
身近な生活に立ち返り、考えてみよう。何かをしている今の瞬間=現在=は、たちまちに過ぎし時間=過去=となり、一晩、睡眠をとって、まだ見ぬ明日=未来=を迎えるのが日常の生活だ。すなわち時間は、人間が意識しようがしまいが我々の存在に関係なく、過去―現在―未来へと永遠に続いていくのである。
我々人間の生命には宇宙の歴史が確実に刻まれている。この宇宙を離れて人間は存在しないことは確か。目には見えないが、宇宙に本源的に存在する生命は、宇宙の元素を取り込みながら、私たちの目に見える形で自己複製能力をもつ生命体を作り上げていく。それは別の観点から見ると、「無機物(無生物)」から「有機物(生物)」へと生成、発展する過程で発生する現象だと言えなくもない。
生命は何者かが作り出したものではなく、もともと大宇宙に本源的に存在するものである、とのテーゼ(命題)の提起がある。日本の聖賢は、宇宙の実相、生命の実相を見事なまでに読み解き、「我即宇宙」「宇宙即我」と達観して見せた。(我=われ)
我々人間はとかく目に見えるものだけを信じ、目で確認できないものについては否定しがちである。しかし、現実は紫外線、赤外線、電波等は目に見えないが、赤外線カメラや通信機器を使い、その存在を確認することができる。また今年、ノーベル物理学賞を受賞した科学者は、目に見えない「暗黒エネルギー」が宇宙を膨張させていることを突き止め、それが受賞理由となったのは記憶に新しいところだ。
このノーベル賞に関連して、我々人間の目で確認できる惑星や銀河は「物質宇宙」と呼ばれ、全宇宙のわずか4%しかないという。残り96%が暗黒エネルギー、暗黒物質で形成される「見えない宇宙」である。しかし、まだ究明されていない分野もあり、今後の研究成果に期待したい。
再び日本の聖賢の話に戻ろう。生命は大宇宙とともに、生と死を繰り返しながら永続することは先に述べた通り。形の上では目に見えたり、見えなかったりするが、本質の部分では生命の質量は不変であり、そのエネルギーは不滅だといわれる。
このように生命は生と滅を永遠に繰り返しながら、宇宙とともに「常住」しているというのが生命の実相だ。人類が求めてやまない生命の実相、宇宙の実相を説き切った聖賢の卓越した英知には感服する以外にないといえよう。
我々人間は科学に学ばなければならない。同時に、先人の透徹した英知に対しては謙虚さが要求されよう。この真摯(しんし)な態度が真理を探究する力になるはずだ。
最後に、大自然に生かされた我が身の存在に感謝しつつ、今生の別れが訪れるまで、お互い人生を大切に生きたいものである。(了) ★関連サイト http://okuyami-ad.jp/newpage13.html
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2011年12月13日
安心して暮らせる社会を目指そう

安心して暮らせる社会を目指そう
今年も残すところ、あとわずか。どんな一年だったかと振り返ると、千年に一度といわれる超巨大地震による東日本の大震災がすぐに思い出される。東京電力の福島原子力発電所の放射能汚染問題は今なお解決しておらず、除染問題も含めて来年に持ち越される。また被災地の本格的な復興作業はこれから。国を含めた行政機関には被災者の立場に配慮した迅速な作業をお願いしたいものだ。
明るい見通しが立たない世界経済。米国の景気はまだ回復しておらず、職を失った人たちが抗議行動を起こす事態さえ起きている始末。一方、ヨーロッパでは財政危機に陥ったギリシャに端を発し、イタリアやスペインでも信用不安が広がり、財政再建が喫緊の課題に。欧州連合(EU)は圏内の経済安定化に向けて、各国の国債の利回り抑制に躍起となっている。これらの影響を受けて為替相場は「円高ドル安」基調となり、日本を直撃。いま我が国の輸出産業は大きな痛手をこうむっている。
自動車大手のトヨタは、来年3月期の連結営業利益は前期比で57%減の2000億円と大幅にダウンする見通し。これはタイ国の洪水被害の影響も加味されているが、12月9日に会見した同社の小沢哲副社長は「円高により日本のモノづくりの基盤の崩壊が始まった」とコメント。日本の実力が伴わない急激な円高に苦言を呈するとともに、日本の輸出産業が危機に瀕している、と警戒感をあらわにしている。
日本はデフレからの脱却が思うように進んでいない。物価は下げ止まらず、中小・零細企業の収益率は悪化。このため倒産に追い込まれる企業も多い。企業倒産は多くの失業者を生み、この結果、内需は拡大せず、まさに日本は“負のスパイラル”に陥っている。
このコラムでも何度か取り上げてきたが、政府は一日も早く景気を回復させて雇用環境を改善してもらいたいものだ。沖縄県から委託を受けた民間事業者(指定管理者)の雇用実態について、地元新聞社が調査したところ、約8割の人たちが非正規社員であることが分かった。調査対象者は575人。雇用の形態を見ると、半年~1年の契約社員が多いものの、パートやアルバイトが16%もあるなど、不安定な状況となっている。県からの委託料の問題もあるが、双方の努力で何とか改善できないものか、今後の取り組みに期待したい。
若い人たちにとって雇用が不安定だと、結婚もできず、子育てもままならないのが実情だろう。少子高齢化が加速している現状を踏まえると、国策として「子育て」を強力に支援していかなければ、数十年後の日本は活力が消え失せ、“斜陽国家”に成り下がるしかない。
社会不安をあおるようで申し訳ないが、厚生労働省は12月6日、生活保護を受けている受給者は8月末現在、205万9871人。また生活保護受給世帯数は149万3200世帯を突破し、過去最多を記録したと発表した。
このような厳しい経済環境の中、けなげに働く若い人たちもいる。だが、安心して働ける状況になっていないのは大変残念なことだ。これはほんの一例に過ぎないかもしれないが、大阪府茨木市役所内での出来事を取り上げたい。
ある臨時職員の女性(31歳)が産前の休暇を申請したところ、契約更新日に働けないことを理由に契約更新を断られ、職を失ったという。市当局は「契約満了によるもので、産休は関係ない」と釈明しているが、何か釈然としないのは筆者だけだろうか。
報道によると、産休の申請前、担当課では当人が「産休を取った後で(職場に)復帰したい」と申し入れたところ、「大丈夫だろう」と言われたという。縦割り行政の弊害がもろに出てきた格好だが、福祉行政を担う役所内の事例だけに、いただけない話である。
非正規社員という不安定な身分で子を産み、育てることを決断することは大変なことに違いない。それを杓子定規的に切って捨てるような行政措置はいかがなものか。善処方を強く求めたい。
国や地方自治体は福祉行政を推進する立場にある。母子の保護や子育て支援もそこには当然、含まれるはずだ。その立ち位置からすると、妊婦には特段の配慮がなされてしかるべきだと思う。
聞くところによると、タイ国ではバス等で妊婦が乗車すると、全員が立ち上がり、席を譲るという。貧しい国柄だが、心の豊かさを見る思いだ。日本も経済優先主義を軌道修正し、幸福を実感できる社会体制を構築する必要があるだろう。
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2011年12月06日
正しき死生観を持ち、今を生きよう
正しき死生観を持ち、今を生きよう
8歳の男児が家庭内食中毒で死亡していたことが分かり、沖縄県は12月1日、その内容を発表し、県民に対し注意を喚起している。また、この事例とは関係がないものの、いたいけな幼女(2歳)が病気療養中に亡くなり、過日、多くの人たちの悲しみの中、告別式がしめやかに執り行われた。合掌。
人の命は「無常」である。むごいことだが、死は年齢に関係なく訪れる。「命はいつまでもあると思ってはいけない」とは、日本の聖賢(せいけん)の教えだ。だからこそ、我々人間は人生で最も大事な「臨終」について学び、今を大切に生きなければならないのである。
最近の日本は、倫理観念が薄らいできたせいか、生命軽視の出来事があまりにも多すぎる。悲惨の事件は後を絶たず、胸が痛む。幼児虐待に、親殺し・子殺し、友人・知人・同僚殺し、果てはある日、突然、通行人を無差別に襲う通り魔事件など、枚挙にいとまがない。これらの報道に接する度に、悲しい気持ちに陥るばかり。
なぜ、そのような残酷な事件が多いのか、それを防ぐ手立てはないのかと、つい行政機関に文句の一つや二つ、ぶつけたくなるのが庶民の心情だろう。しかし、今の行政機関は頼りにできず、フラストレーションはたまる一方だ。
国内の自殺者は1998年から昨年まで13年連続して毎年、3万人を超え、“異常事態”が続いている。交通事故による死者数よりはるかに多い数だ。国会でも自殺防止策が論じられ、法案化もされたが、思うように成果が表れていないのが現状である。
自殺には社会的な背景があることは無論、承知している。そういう意味では不況からの脱却や失業者や貧困家庭など、社会的弱者を救済する制度やセーフティーネットワーク(安全網)の構築等は不可欠なものだろう。だが、自殺防止のベースとなるべきものは、個人の精神的、内面的な問題をどうするか、ではないのか。ここで個々のケースを論じるわけにはいかないが、基本的な考え方としては、日本人一人一人が明確な「死生観」をもち、かつ生命に対して畏敬の念を抱いて日々行動することが重要だと思う。
自殺の動機はさまざまだ。貧困に追い込まれ、路頭に迷った揚げ句の孤独死、病気の苦しみから解放されたいとする安楽死、人間関係がうまくいかず、人生に絶望した末の死、仕事に挫折し、生きる自信をなくしての悲運な死など、多岐にわたる。自殺に至るまでには、いろいろな問題が複雑に絡み合っており、決して一筋縄で解決できるものではないだろう。しかし、究極の場面ではやはり、家庭教育や学校教育、社会教育で培われた死生観をきちんと身に着けているかどうかが生死の分かれ道になってくると思われる。
欧米ではキリスト教を土壌とした宗教教育が根付いている。日本では戦前の国家神道への反省から戦後、信教の自由が保障された。だが、日本国憲法の規定により、公の教育(公教育)の場では宗教教育をすることが禁じられているのはご承知の通り。この問題では一歩踏み込んだ国民的論議が必要のように思う。
翻って昨今の日本の置かれた政治的、社会的状況は、格差社会を反映し利己主義者を数多く生みだし、強欲の強い人たちを輩出する状況になっていないか、危惧する者の一人だ。自由社会の陰に隠れて、国民一人一人に精神的な支柱がなく、個人がばらばらの“無縁社会”の到来は一体、何を意味するのか、真剣に考える必要があろう。
人に道に反した行為は厳しく批判されるべきである。今、時代が求めているのは「強きをくじき、弱きを助ける」という人間主義の視点。また自分の命の大切さを認識するとともに、他の人の命も自分の命と同様に尊いとする“生命尊厳”の思想だと思う。生命尊厳は普遍的な価値を有する「人間愛」や「慈悲の心」に通じるものである。
政府が経済的に豊かな社会の創出を目指すのは当然である。これは政治の責任というべきものだろう。一方で心の豊かさを享受できる社会を構築していくのも国や関係機関の責務だ。ぜひ理想を高く掲げ、粘り強く地道に成果を上げてもらいたいものである。
我が日本には世界の模範となり得る「人の道」を説く教えがある。抽象的な表現で申し訳ないが、死生観の確立こそ、人が人としての価値を見いだす哲理であることを結びに強調しておきたい。
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2011年11月29日
Shakaの辛口論壇

交際相手のいない男女が過去最多
国立社会保障・人口問題研究所が18~34歳までの男女を対象に、交際相手がいるかどうか調査したところ、男性で61%、女性で49%に上り、過去最多になっていることが11月25日、分かった。調査は5年おきに行われており、今回は昨年6月に実施したが、5年前の2005年に比べて「彼女がいない」男性は約9ポイント、「彼がいない」女性は約5ポイントそれぞれ増加した。
調査結果について同研究所は「結婚や交際を望んでも、仕事が忙しかったり、経済的な余裕がないために、諦めているのではないか」と分析している。
一方、結婚する意思がある人の割合は男性86%、女性89%と高い。だが、結婚を望みながら、独身でいる理由について年齢間で温度差がある。適齢期の25~34歳では「適当な相手に巡り合わない」が男性46%、女性51%に。また「結婚資金が足りない」は男性30%、女性16%となっており、さらに「異性とうまく付き合えない」とする男性が13%、女性が11%もいる。
バブル崩壊後、景気が低迷していることはご承知の通り。経営環境の悪化に伴い、企業の正規社員の求人は手控えられ、代わって登場したのが契約社員、派遣・パート等の非正規社員の雇用だ。そのあおりを受けて、新卒者の収入は低賃金で不安定なものとなり、経済的な“ゆとり”がなくなってきた。この結果、遊び感覚は薄れ、男女の触れ合う機会も総じて少なくなっているのではないか。結婚年齢が遅れれば、「少子高齢化」に一段と拍車が掛かることになろう。
米国のリーマンショック以来、世界の景気は低迷を続けている。欧州ではギリシャに続き、イタリアの財政の破綻(はたん)問題が取りざたされており、いま欧州全体(ユーロ圏)が危機的な状態にある。また日本では想定外の東日本の大震災を受け、復旧・復興の作業は待ったなしの状況。政府は復興予算の確保に四苦八苦しているが、それを軽視するかのように世界の金融市場は日本に対して厳しい。依然として円高ドル安の基調は変わらず、国内の輸出産業は悲鳴を上げているのが現状だ。
加えて大国での洪水被害により現地で工場を所有している日系企業は、操業停止に追い込まれ、車やコンピューターの部品など製品を出荷できず、売り上げ目標に大きな狂いが生じてきた。これらの外的要因が災いして、日本は今なおデフレから脱却する糸口がつかめてない。
ところで、政治家は口を開けば「少子高齢化対策」を声高に叫ぶ。しかし、その対策の一環であったはずの「子ども手当」は財政難を理由に減額され、また乳幼児を抱える女性にとっては不可欠の保育対策が遅れ、安心して働き、子どもを育てるという社会環境には程遠いのが実情。「共働き」を推奨するわけではないが、世帯主の収入を安定させる方策を講じなければ、若者の生活は不安定となり、婚期を逸する事態にも発展しかねない。
日本の人口は現在、約1億2700万人だが、あと40年もすると、1億人を割るという予測も出ている。長寿国日本では今後とも、お年寄りは増えていくが、それを担う働き手が少なくなれば、財政は完全に破綻し、「斜陽国家」に転落していくのは間違いないだろう。
若い男女の出会いが少なく、結婚年齢も高齢化し、子を産む数も少なくなっていけば、未来に待っているのは“不幸社会”ではないのか。結婚適齢期に家庭を築けるような社会の創出は、すべての国民の願いだろう。日本の政治家よ、しっかりせよ! 上記の調査結果は今後の雇用制度、社会制度の在りように問題を投げ掛けている。
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2011年11月22日
木星の衛星に生命存在の可能性
宇宙に関する新しいニュースがまた飛び込んできた。米航空宇宙局(NASA)は11月17日、木星の衛星である「エウロパ」の表面を覆う氷の下に巨大な湖がある可能性を示す新たな証拠が見つかったと発表した。
発表に先立ち、米テキスト大学の研究チームは木星の探査機ガリレオが撮影した衛星の画像を分析。その結果、エウロパの海の上部に湖が存在し、揺れ動いている形跡があることが判明した。このため研究者は「厚さ数キロの氷の下部に大量の水があって、氷と盛んに混じり合っており、生命が存在する可能性が高まった」と指摘している。
ご承知の通り、木星は恒星の太陽から5番目(地球は3番目)の惑星で、太陽系惑星の中では質量ともに最大のもの。地球の衛星は月1個だけだが、木星には65個の衛星があり、エウロパは大きな衛星4個のうちの一つ。木星は古代から知られ、英語名の「Jupiter=ジュピター」は古代ローマ神話の最高神が語源だといわれる。
今回の発見を科学的に確認する方法はエウロパに直接、探査機を送り込むことだが、今のところ、その計画はないという。
太陽系外の惑星に宇宙人(異星人)がいないことは先週のコラムで指摘した通り。だが今回は太陽系内の惑星に生命の素材となる有機化合物が存在しているのかが新たに浮上した形だ。結論から言えば、可能性は無きにしも非ず、である。
ビッグバンによって137億年前に誕生した宇宙。この宇宙では一瞬も休むことなく、星々が生成され、発展と消滅が繰り広げられている。有機化合物の当体である我々人間に寿命があるように、無機物で構成されている惑星にもおのずと寿命があることは明らか。これを身近な言葉で言い当てると、「自然の摂理」となる。別の表現が許されるならば、自然の摂理は、すなわち人力の及ばぬ「宇宙の法則」であろう。
「宇宙の法則」とは聞きなれない言葉だと思うが、ここでは宇宙を動かしている「大いなる力」と説明しておきたい。宇宙は、我々人間が知覚しようがしまいが、悠久の時の流れの中で「宇宙の法則」に基づき、星や星雲を次々と誕生させている。考えれば考えるほど、宇宙は不可思議な存在である。
太陽の光と熱で生かされている地球の生き物たち。生命の存続を可能にする水や空気、食物等があれば、多くの生物が生まれ、新たな歴史を作ることになる。人間の一生は百年前後で終わるが、宇宙に点在する星々は億年単位で生成、消滅する。
地上の生物に多大な恩恵を施している太陽でさえ、天文学的には63億年後には水素が消費し尽くされ、事実上、消滅する。太陽は末期には膨張を開始し、この結果、地球をのみ込んでしまうという説がある。地球の寿命が尽きるのはその前後らしい。まさに「無常」の世界である。
宇宙は目に見えない「暗黒エネルギー」の力によって現在、膨張し続けている。膨張の果てには収縮があるのかないのか、誰にも分からない。
科学はどこまで宇宙の実相、生命の実相を解明できるのか、期待は大きい。だが、同時に科学の限界もあるように思われて仕方がない。「宇宙そのものが生命の海」「宇宙は始めもなければ、終わりもない」「無機物、有機物は相互に作用するのが生命の実相」「生命のエネルギーは不滅。条件(環境)が整えば、また、どこかの星で生命は誕生する」など、宇宙や生命の実相に迫った“東洋の英知”は、宇宙科学の進むべき方向を提示しているようである。それは現代に光を放ち、色あせることがない。
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2011年11月15日
宇宙に存在しない異星人(エイリアン)
宇宙に関するテーマをお届けしたい。SF映画ではおなじみの異星人(エイリアン)だが、米ホワイトハウスは今月7日、異星人がいる証拠はないとする異例の公式見解を発表した。これは米国市民から「政府は宇宙人の存在を知りながら、その事実を隠している」とする宇宙人の情報開示を求める1万7千人の請願書に応えたもので、オバマ政権の宇宙政策・広報担当のラーソン氏がウェブサイトで明らかにした。
この中でラーソン氏は、多くの科学者は地球以外の星々の中に“生命の故郷”となっている惑星が存在する可能性は高い、との結論に達しているが、一方で「知力を有するもの(異星人)と人間が接触する可能性は極めて低い」と指摘。その存在を示す証拠もないとコメントしている。
私たち「地球人」に対し、我々は他の惑星に住む生物を「宇宙人」あるいは異星人と呼び、区別している。SF映画では宇宙人に関する作品も数多く作られ、大きな話題となることもしばしば。若者は熱中し、時代のトレンドを生んだりしたが、確かに知的好奇心をかきたてる格好の材料には違いない。
今回のホワイトハウスの見解を筆者は支持する。最新の宇宙科学で明らかになっているのは、人間の目には見えない「暗黒エネルギー」(ダーク・エネルギー)が全宇宙の約4分の3(73%)を占めていることだ。同じく「暗黒物質」(ダーク・マター)も23%ある。残り4%が星や銀河を形づくる物質(物質宇宙)だという。この暗黒エネルギーに起因して宇宙は膨張を続けている、とした3人の科学者は今年、ノーベル物理学賞を受賞した。
我々が住む地球は、混沌とした大宇宙の中でガスとチリから生成され、46億年前に誕生した。知的能力を持つ人類(ホモ・サピエンス)の誕生は20~25万年前の話。地球の長い歴史からすると、ごく最近の出来事でしかない。
だが、この知的生物の人間は、他の生物と明らかに違う特異な存在である。「万物の霊長」といわれるように、日常の努力により自分自身の精神性を高めることができる有意の生命体だ。
ただ、周囲の環境や自分自身の心のもち方ひとつで「善人」にも「悪人」にもなり得る存在でもある。それだけに自分を修めるすべを持たないと大変なことになる。自身を制御できる資質は人間に備わった特性であり、その意味で人間として生まれてくること自体が尊いといえよう。
このように見た場合、広大な宇宙に人間を超えた、また人間と同等な特質をもった知的生命体が今の時点で存在していることは考えられないことだ。人間は動物的な本能とは別個に、自分自身の精神性を高める哲学や宗教をもち、実践することができる。他の生物との大きな違いも実はそこにある。
さて、科学は原因と結果を重視する。これは真理を探究していく上で不可欠なものだ。火のない所に煙は立たぬ、と同じ理屈である。この原理は宇宙論を語る場合でも当てはまるもの。生まれるべく原因が作られれば、結果として生命(星)が誕生するのは当たり前の話。大宇宙でも「因果の理法」は厳然として働く。暗黒エネルギー、暗黒物質の真の理解なくして、生命の問題を論じるのは不可能だろう。
結論を急ごう。日常の実践により自分自身を昇華できる生物は、宇宙広しといえども、人間をおいて外に存在しないはず。それ故に「異星人は宇宙に存在しない」というのが筆者の結論である。
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この中でラーソン氏は、多くの科学者は地球以外の星々の中に“生命の故郷”となっている惑星が存在する可能性は高い、との結論に達しているが、一方で「知力を有するもの(異星人)と人間が接触する可能性は極めて低い」と指摘。その存在を示す証拠もないとコメントしている。
私たち「地球人」に対し、我々は他の惑星に住む生物を「宇宙人」あるいは異星人と呼び、区別している。SF映画では宇宙人に関する作品も数多く作られ、大きな話題となることもしばしば。若者は熱中し、時代のトレンドを生んだりしたが、確かに知的好奇心をかきたてる格好の材料には違いない。
今回のホワイトハウスの見解を筆者は支持する。最新の宇宙科学で明らかになっているのは、人間の目には見えない「暗黒エネルギー」(ダーク・エネルギー)が全宇宙の約4分の3(73%)を占めていることだ。同じく「暗黒物質」(ダーク・マター)も23%ある。残り4%が星や銀河を形づくる物質(物質宇宙)だという。この暗黒エネルギーに起因して宇宙は膨張を続けている、とした3人の科学者は今年、ノーベル物理学賞を受賞した。
我々が住む地球は、混沌とした大宇宙の中でガスとチリから生成され、46億年前に誕生した。知的能力を持つ人類(ホモ・サピエンス)の誕生は20~25万年前の話。地球の長い歴史からすると、ごく最近の出来事でしかない。
だが、この知的生物の人間は、他の生物と明らかに違う特異な存在である。「万物の霊長」といわれるように、日常の努力により自分自身の精神性を高めることができる有意の生命体だ。
ただ、周囲の環境や自分自身の心のもち方ひとつで「善人」にも「悪人」にもなり得る存在でもある。それだけに自分を修めるすべを持たないと大変なことになる。自身を制御できる資質は人間に備わった特性であり、その意味で人間として生まれてくること自体が尊いといえよう。
このように見た場合、広大な宇宙に人間を超えた、また人間と同等な特質をもった知的生命体が今の時点で存在していることは考えられないことだ。人間は動物的な本能とは別個に、自分自身の精神性を高める哲学や宗教をもち、実践することができる。他の生物との大きな違いも実はそこにある。
さて、科学は原因と結果を重視する。これは真理を探究していく上で不可欠なものだ。火のない所に煙は立たぬ、と同じ理屈である。この原理は宇宙論を語る場合でも当てはまるもの。生まれるべく原因が作られれば、結果として生命(星)が誕生するのは当たり前の話。大宇宙でも「因果の理法」は厳然として働く。暗黒エネルギー、暗黒物質の真の理解なくして、生命の問題を論じるのは不可能だろう。
結論を急ごう。日常の実践により自分自身を昇華できる生物は、宇宙広しといえども、人間をおいて外に存在しないはず。それ故に「異星人は宇宙に存在しない」というのが筆者の結論である。
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